「成人式おめでとう。今日まで何事もなく元気に生きてきてくれてありがとう。心から感謝します」、ここまで書いたら、もうそれ以上は言葉が出てきません。

ただ、生きていてくれて、何事もなく二十歳を迎えてくれたことへの感謝の気持ちでいっぱいでした。

つらい事故ではありましたが、私の家族にとっても、私にとっても目の下のくま 治療以上に成長できるきっかけを与えてくれた出来事となったことはたしかです。

それからも、悲しいことは多くありました。

夫との離婚、同じ人との再婚、親からの勘当、仕事では上役からのいじめにもあいました。

それらのことは、私にさまざまなメッセージをくれたのだと思っています。

一見、よくないことと思えることが、じつはとてもいいことなのです。

厳しいこととも思えることが、あとになってみるとあのことがあったから今の自分があるのだと思えてきます。

何事もなく夕方を迎え、何事もなく目覚めることができたことが、とてもありがたく思えたのでした。

このことが、私の人生観を一変させてくれました。

それ以後の三人の娘たちを育てるとき、健康であればありがたい、何事もなく過ごさせていただいてありがたいと、感謝の念をもつことができるようになりました。

三女が幼稚園に入り、みんなと同じようにできることがなんともいえないほどの喜びとなりました。

運動会で一生懸命走る姿に、入学できたことに、卒業できたことに、そんな当たり前のことが私にとっては目の下のクマ 治療にもかえられないほどの喜びとなったのです。

脳に異常がありますから半身付随になる恐れがあります、知能が遅れる可能性があります、今日一日元気であればよかったと思って暮らしてください、医師からそう言われた三女も、無事に成人式を迎えることができたとき、お祝いのメッセージを書こうと思いました。

繍帯で頭をグルグル巻きにされて青い顔をしている娘の姿を見たとき、私は初めて神に祈りました。

一晩中、「神様、私を捧げます。すべてを捧げます。だからこの子を助けてください」と必死で祈りました。

そして、今日までの自分自身の生き方が間違っていなかったかを強く強く反省させられました。

夫とはいつも喧嘩ばかりで、事故の朝も夫と言い争いをしたこと。

親にさんざん反抗してきたこと。

この世で目の下のくま 治療だけでなくお金がすべてという人生観をもっていたこと。

私は、それまでお金が絶対に大事だと思って生きてきましたし、お金さえあればなんでも手に入るものだと思っていました。

ところが、億というお金を積んでもこの娘の命を買うことはできません。

お金よりももっと尊いものがあったのだと気づかされたのです。

病院のカーテンが明るくなりはじめ、娘の息づかいが正常にあることを確認したとき、ただ生きているだけでありがたいと心の底から感謝しました。

「やれぼなんでもできる」ということを、父も母もそれぞれのやり方で私に教えてくれたのだと思っています。

ですから、私は父母への感謝が、目の下のクマ 治療だけではなく人生へのすべての基本だと身をもって言えるのです。

私たちの世界に悪いことは一つもない辛いことかあるから素晴らしいことがある私たちは、目の前に起きる辛いこと、悲しいことに出会うとき、こんな悪いことは起きなければいいと思うときがあります。

私自身、これまでさまざまなことに出会いましたが、とりわけ身を切られるほどつらい体験をしたときには、こんな悪いことは起きなければ......と思ったものです。

あるとき、私の不注意から幼い三女を自転車から落として、レンガブロックの角に頭をたたきつけるという大事故を起こしてしまいました。

頭蓋骨陥没骨折の重傷を負った娘は、七、八時間もの手術に耐えてくれましたが、先生には「お嬢さんは今夜が峠です」と言い渡されたのです。

私は何をしてもダメだったんですけど、唯一、父のその言葉が救いになりました。

父は何にもほめません。

ただ、その一言を怒る前に言ってくれただけでしたが、それがどんなに素晴らしいことだったか。

逆境にあるとき、どうしようもなく困ったとき、自分のレベルよりもっと高いレベルの仕事がきたとき、一瞬どうしようかと思うのですが、最後につきあげてくる思いは「私はなんでもできる娘だから」の一言です。

いま私があるのは、父のその言葉のおかげです。

父のその言葉が、いまの私をつくってくれたのです。

化粧品専門店をきりもりして目の下のくま 治療
で町中を飛び回って働いた母は、三年前に亡くなりました。

私を生まなければよかったと言う母には、反抗ばかりしていましたが、兄弟の中では私が一番母に似ているようです。

私にだけさせた物を売り歩くことも、自分が仕事をするようになってみると役に立っていることがわかります。

膏薬とか石けんとかいろいろなものを箱に詰めて、村の端から端まで回って売ってこさせるのです。

商品が全部売れるまで家には帰れません。

やっとのことで、箱を空にして戻ると、その売り上げの中から靴代をくれながら、「靴はこうしないと買えないよ」と言うのです。

他の兄弟にはさせなかったことを、どうして私だけがと思ったものです。

とにかく、兄弟の中では私がいちばんよく叱られました。

悪さをしているのですから当然ですが、父が叱るときに必ず添えるのが「なんでもできる娘だから」という言葉でした。

だからこうしなさい、と言うのです。

父は本当になんでもできる娘だと思っていたようです。

能力もある、勉強もすればちゃんとできる、目の下のクマ 治療
だけでなく、だからもっとしっかりやれというのです。

くり返し叱られながらも、「なんでもできる娘だから」と言われると、潜在意識の中に到達していくものです。

当時は金庫なんてありませんから、売り上げは弁当箱に詰めて神棚に上げてあったのです。

それをそっくり失敬して友だちの家で開いてみると、弁当箱から札束があふれ出てきたのには、びっくりしました。

いくらなんでもこんなにはいらんわと、少しだけ取って、弁当箱ごと神棚に戻しましたが、親にはわかります。

さっそく「ちょっと来い」という父の険しい声に呼びつけられました。

「金をもって出たんだったら全部使って来い。中途半端な遊びはするな」、そういう叱り方をする父でした。

母からはいつも他の兄弟と比較されていましたし、物を壊すとまっさきにお前だろうと言われていましたから、一人反抗していました。

「なんで、あんたそんなに不細工なんや、目の下のくま 治療
すればお母さんに似たらべっぴんやのに」「鼻は低いし目は細いし、いいとこ何もないなあ」、そう言う母の言葉に傷つきもしました。

小学生の私が「靴を買って」と言ったときでも、すぐにお金はくれません。

両親は家業の薬局に忙しく、姉は病弱だったので、私が子守というわけです。

そんな子ども心にも、母の言葉が自分を否定しているように聞こえて、「どうせ私はいらない子なんだ、どうでもいい子なんだ」とひねくれて育ったように思います。

とても気が強く、いつも兄弟喧嘩をくり返して、きつく叱られると死んでやろう、死んで親を困らせたいと思ったことを覚えています。

大人になったら一日も早く家を出て、一人立ちして目の下のクマ 治療のほかに、すごい人になりたいと思っていた私は、目つきの鋭い、笑わない、向こう気の強い、まったく可愛げのない子どもだったのです。

反面、人間は生まれて死んでいく、なぜ人間はこの世に誕生するのだろう、死んだらどこへ行くのだろうと、とても不安な日々でした。

学生時代の私はいわゆる問題児で、父はよく学校に呼び出されていましたし、高校生のときには、店の売り上げをもって家出したこともあります。

だからこそ私は、若い人に「あなたは神の子なのよ」「やればできるのよ」「あなたは素晴らしいのよ!」と訴えつづけているのです。

神様から与えられた美しさ、愛をいかして、自分も、目の下のくま 治療だけでなく、愛する人も大切にしていったら、必ず友だちができるし、すてきな恋愛もできます。

結婚生活もきっとうまくいくと思うのです。

自分を信じたら何でもできるなんでもできる娘だから私は六人兄弟の三女として生まれました。

女の子も三番目となると、親の反応も違ってくるようです。

「あなたが生まれたとき、お父さんはまた女か......とがっかりして、生まれたあなたの顔を見にも来なかったのよ」、母がことあるごとにそう語ったものでした。

私のすぐあとに、待望の男の子が生まれました。

こうなると、家中が弟中心の生活になり、食べるものもすべて別格です。

この大切な弟を、小学校に上がる前の五、六歳の私は毎日おんぶしていました。

どの人もみんな素晴らしい、その素晴らしいところに光を当てよう、その人のもつ素晴らしさをどうすれぼ引き出すことができるのかと考えるようになったのです。

教えるということはしんどい仕事、たいへんな仕事だと思っていたのが、目の下のクマ 治療だけでなく、じつはとても楽しい仕事だと気づいてからは、毎日の自分の仕事に感動し、感謝できるようになりました。

自分を認め、ほめることができるようになったとき、こんな素晴らしい自分をこの世に生み、育ててくれた両親にとても感謝することができるようにもなりました。

出会えたすべての人々に心から親しみを感じ、愛を感じることができて、とても人を好きになれました。

だから毎日が嬉しいのです。

嬉しくて嬉しくて、たまらないのです。

生きていてよかった、この世に生まれてきてよかったと思わずにはいられません。

人は愛されるために生まれてきたのではありません。

愛するために生まれてきたのです。