2010年12月アーカイブ

当時は金庫なんてありませんから、売り上げは弁当箱に詰めて神棚に上げてあったのです。

それをそっくり失敬して友だちの家で開いてみると、弁当箱から札束があふれ出てきたのには、びっくりしました。

いくらなんでもこんなにはいらんわと、少しだけ取って、弁当箱ごと神棚に戻しましたが、親にはわかります。

さっそく「ちょっと来い」という父の険しい声に呼びつけられました。

「金をもって出たんだったら全部使って来い。中途半端な遊びはするな」、そういう叱り方をする父でした。

母からはいつも他の兄弟と比較されていましたし、物を壊すとまっさきにお前だろうと言われていましたから、一人反抗していました。

「なんで、あんたそんなに不細工なんや、目の下のくま 治療
すればお母さんに似たらべっぴんやのに」「鼻は低いし目は細いし、いいとこ何もないなあ」、そう言う母の言葉に傷つきもしました。

小学生の私が「靴を買って」と言ったときでも、すぐにお金はくれません。

両親は家業の薬局に忙しく、姉は病弱だったので、私が子守というわけです。

そんな子ども心にも、母の言葉が自分を否定しているように聞こえて、「どうせ私はいらない子なんだ、どうでもいい子なんだ」とひねくれて育ったように思います。

とても気が強く、いつも兄弟喧嘩をくり返して、きつく叱られると死んでやろう、死んで親を困らせたいと思ったことを覚えています。

大人になったら一日も早く家を出て、一人立ちして目の下のクマ 治療のほかに、すごい人になりたいと思っていた私は、目つきの鋭い、笑わない、向こう気の強い、まったく可愛げのない子どもだったのです。

反面、人間は生まれて死んでいく、なぜ人間はこの世に誕生するのだろう、死んだらどこへ行くのだろうと、とても不安な日々でした。

学生時代の私はいわゆる問題児で、父はよく学校に呼び出されていましたし、高校生のときには、店の売り上げをもって家出したこともあります。

だからこそ私は、若い人に「あなたは神の子なのよ」「やればできるのよ」「あなたは素晴らしいのよ!」と訴えつづけているのです。

神様から与えられた美しさ、愛をいかして、自分も、目の下のくま 治療だけでなく、愛する人も大切にしていったら、必ず友だちができるし、すてきな恋愛もできます。

結婚生活もきっとうまくいくと思うのです。

自分を信じたら何でもできるなんでもできる娘だから私は六人兄弟の三女として生まれました。

女の子も三番目となると、親の反応も違ってくるようです。

「あなたが生まれたとき、お父さんはまた女か......とがっかりして、生まれたあなたの顔を見にも来なかったのよ」、母がことあるごとにそう語ったものでした。

私のすぐあとに、待望の男の子が生まれました。

こうなると、家中が弟中心の生活になり、食べるものもすべて別格です。

この大切な弟を、小学校に上がる前の五、六歳の私は毎日おんぶしていました。

どの人もみんな素晴らしい、その素晴らしいところに光を当てよう、その人のもつ素晴らしさをどうすれぼ引き出すことができるのかと考えるようになったのです。

教えるということはしんどい仕事、たいへんな仕事だと思っていたのが、目の下のクマ 治療だけでなく、じつはとても楽しい仕事だと気づいてからは、毎日の自分の仕事に感動し、感謝できるようになりました。

自分を認め、ほめることができるようになったとき、こんな素晴らしい自分をこの世に生み、育ててくれた両親にとても感謝することができるようにもなりました。

出会えたすべての人々に心から親しみを感じ、愛を感じることができて、とても人を好きになれました。

だから毎日が嬉しいのです。

嬉しくて嬉しくて、たまらないのです。

生きていてよかった、この世に生まれてきてよかったと思わずにはいられません。

人は愛されるために生まれてきたのではありません。

愛するために生まれてきたのです。

神や仏は遠いところに天高く存在しているのではなく、さんぜんと光り輝いて自分の内にあるのです。

私はそれを知ったとき、嬉しくて嬉しくてたまらなくなり、それならば何でもできる私なのだ、このままで素晴らしいのだと気づきました。

自己否定が強く、自信のなかった私が明るくなれました。

そして、目の下のくま 治療
だけでなく、自分を愛することができ、認めることができ、ほめることができたとき、はじめて人のよさがわかるようになり、心の底から人をほめ、認めることができるようになったのです。

人間って、みんな素晴らしいんだな、ダメな人なんて一人もいないんだなということを実感として感じられるようになったのです。

それからは、仕事の仕方も一変しました。

私はエステティックサロンで働く女性たちに教育指導をしているのですが、教えるという仕事はダメなところを直すためではなく、その人のよさを引き出すことだと気づいたのです。

そう思ったら、人だって遠ざかっていきます。

何でも頭で考えて、「そんなことできない」「どうせ私は......」などと、最初から思い込んではダメです。

自分を認め、ほめてください。

やってみると、びっくりするようないい結果が出るものなのです。

愛されることより、愛する生き方を私たち人間は自分で生きているのでしょうか。

自分で生きていますという人は、一度自分の心臓を止めてみてください。

血液の流れを、ホルモンの出る量を調節できますか。

私たちは自分で生きているのではないのです。

私たちを生かしているものは生命です。

この生命は目にふれることも、つかむこともできません。

どんな高性能のカメラでも写すことはできません。

でも、あるのです。

あるから生きているのです。

私たちの肉体の奥には、目の下のクマ 治療だけでなく、私たちを生かそう、生かそうとする生命があります。

それを人は神と呼び、仏と呼びます。